JAMBO!

セブ生活、海外ボランティア、バックパック、旅行、その他いろいろ

新卒で入社した会社を9ヶ月で辞め、転職活動した話。

皆さんこんにちは!

いつの間にか半年に一度の更新ペースですが、それでも見てくださっている方、ありがとうございます!笑

 

"Stay Home"がさけばれる世の中、みなさんはどのように過ごしていますか?

在宅時間が増えたおかげで、私は毎日自炊をし、映画・ドラマ・読書に明け暮れています。

 

そしてふと、ブログも更新しようかなと思ったので書いてみます!

 

今日は、

新卒で入社した会社を辞め、第二新卒で転職活動をした話。について。

 

前回の投稿で、フィリピンから帰国した話をしていました。

もともとフィリピンの社員として入社させてもらった前職の会社でしたが、色々と事情があり半年で帰国し、結局9ヶ月で退職しました。

(”色々な事情”は、ここでは省略します。そのうち時効がきたら投稿するかもしれません。笑)

 

転職先が見つかる前に退職することとなったので、無職の状態で転職活動を始めました。

ご想像に難くないと思いますが、かなり不利な状態でした。

何が不利かって、

 

①新卒で入った会社を1年もせずに退職

②専門性の無さ

③転職先が見つかっていないのに退職

 

ざっくり分けるとこの3つでしょうか。

一つずつ見てみましょう。

 

①新卒で入った会社を1年もせずに退職

→なぜそんなにすぐ辞めてしまったのか、どこの会社でもすぐに辞めてしまうのではないか、と思われるようです。

 

②専門性の無さ

→大学は何の資格も取得せず卒業。前職では広く様々な仕事をしていたので、結局何かを極めていたわけではなく、何の仕事をしていたのか分かってもらえないことがほとんどでした。

 

③転職先が見つかっていないのに退職

→ 次が決まっていないので先が見えず、将来に不安を感じながら転職活動をしていました。また、金銭面も余裕が無かったため、日中に転職活動(書類作成やメール・電話、面接)、夕方から夜にかけてアルバイトという生活を送っていましたが、体力的にも中々ハードでした。

 

色んなことにおいて、後から「なめてた...」と思うのですが、転職活動も完全になめてました。

 

転職活動まとめ

  • 面接→約10社
  • 書類選考→約20社?
  • エントリー→約30社?
  • 期間→2ヶ月+入社まで1ヶ月

 

書類選考に進んだ企業数とエントリーした企業数は覚えていないので、感覚的な数です。

「頑張れば1ヶ月で終わるんじゃない?」なんて考えてた私。

きっと1ヶ月で終わる人もいると思いますが、私は結局退職してから次の職場で働きだすまで3ヶ月かかりました。

 

転職活動を終えて。

 

転職サイトやエージェントは複数利用した方がいい?

エージェントによって(/人によって)言うことが全然違いました。

増えすぎるとエージェントとのやり取りだけでどんどん時間をとられてしまいますが、複数のエージェントを利用してみて自分に合ってそうなものに絞っていくのがいいのかもしれません。

複数のエージェントを利用した中で、マニュアルっぽい対応の人もいましたが、中には信頼して相談できると思えた人もいました。シンプルに、人材会社で働く人も”人”なので、人との相性が合う・合わないもあると思います。

 

求人紹介サービスはうまく利用する

視野を広げるという意味では、求人紹介サービスはとても役に立つと思います。

私の場合、紹介された求人でピンとくるものはなかった時でも、対面や電話だとなんとなく断れず、なんとなく興味あるからいいか、くらいの気持ちで受けてしまって後悔しました。

 

積極的に情報を探しに行く

自分で求人情報漁ったり、気になる企業のホームページの求人ページから応募するのが遠回りなようでやっぱり近道かも、と思いました。

 

面接に行ってみないと分からない。

会社の雰囲気が明らかに自分に合っていない、と感じたり、求人情報で見た仕事と内容が違っていたり、面接中にいかに会社がブラックか聞かされたり...

そこで働いている人の知り合いなどがいれば、それがベストな気がしますが、そうでない場合は面接でも分かることは多いかなと思いました。

 

期間や金銭面で余裕を持って転職活動する

経済的な余裕なし、前職は退職済み、先が見えない…という状況で私は焦っていました。

 

いつになったら働きたいと思える会社で内定をもらえるだろう…

このままずっと就職先が見つからなかったら北海道に帰ろうか…

私の人生どこで間違ったんだろう…

 

そんな感じで、転職期間が延びていくと、体力や金銭面よりもメンタル的に辛くなっていました。

やむを得ない状況を除いて、次に転職することがあれば余裕を持って転職活動したいと思っています。

 

大学生の時にちゃんと就活しなかったから、就活の仕方が分からなかった。

これは完全に自業自得でしかないのですが、大学生の時にちゃんと就活しなかったことを本当に後悔しました。

一度でも就活をしたことがある人なら、こんなに苦労しなかったかもしれません。

履歴書や職務経歴書の作成の仕方から、面接まで…

本当に分からな過ぎて、ゼロから調べまくりました…

ちゃんと就活をしてきた方々、本当に尊敬です。

 

これが正解の道なのか?

正直、転職後にすぐに在宅になってしまい、これが正解だったか、成功だったかまだ判断はつきません。

ただ、”成功だったか”、ではなく捉え方の問題だけかもしれないので、成功にしていきたいですね!

新しい仕事についても、追々書いていきたいと思います。

 

最後に。

心から思うのは、家族や友達のサポートなしでは転職活動は終えることは出来ませんでした。相談にのってくれた方、辛抱強く愚痴を聞いてくれた方、弱音をはく私を支えてくれた方、短期なのにフルタイムで働きたいとワガママを言う私を温かく迎え入れてくれたバイト先、うるさいけど優しいシェアハウスのみんな、どんな時でも味方でいてくれる家族…本当に感謝でいっぱいです。

 

長文お読みいただきありがとうございました!!

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実は帰国しました!

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こんにちは!

更新するの半年ぶりですが、ちゃんと生きてました。笑

 

タイトルの通りですが

フィリピンから帰国してます。

 

9月末に。

 

あっという間に2ヶ月経とうとしてる…

 

気持ちがまとまったら書こうかな

って思ってたのですが、

 

「まとまったら」

じゃなくて

「まとめなきゃ」

なのかもって思いました。

 

なので、まとめてみます。

 

 

セブで過ごした6ヶ月間

一生懸命、毎日生きてました。

必死に仕事してました。

社会人1年目、急にセブに行った私は

何も分からないところからスタートして

周りの人はそんな私に丁寧に仕事を教えてくれて、

仕事抱え込んでる私を助けてくれて、

ミスしてへこむ私を励ましてくれて、

支えられまくった6ヶ月間でした。

それは、セブの周りにいた人だけではなくて、日本から応援してくれてた人たちも。

 

職場も、セブっていう土地も大好きでした!

 

仕事では、色んな人たちとお話させてもらう機会があって、会社員の人も公務員の人も、フリーランスで働いてる人もいれば経営者の人もいたりして。

「いろんな仕事、働き方がある」

って頭の中で思ってたことが、直接いろんな人と話す中で、"いろんな生き方や働き方がある"って身をもって実感できたというか、身近に感じられるようになりました。

 

先日、留学してた生徒さんたちと日本で会いました。

帰国してからも生徒さんたちはつながってるんだなってことが分かり、とても嬉しくなりました!

留学のメインの目的は語学習得かもしれないけど、私は"人とつながれる場"でもあると思っていて。

そうした"場"を作るお手伝いが少しでも出来てたのかなって思うと、やっぱり素敵な仕事だったし、あの場で働けて良かった、と。

 

接客なんてもう嫌だって何回も思うのですが、"人"が好きっていう根本は変わらないんだろうなって、思います。笑

 

 

セブの好きなところたくさんありますが、私は綺麗な海が一番ですね!

カラフルな熱帯魚を見てる時と、太陽に照らされながら海にプカプカ浮いてる瞬間が好き。

 

そして日々、マッサージ、マンゴー、タピオカ、サンミゲル(ビール)に癒されていました笑

 

 

フィリピン人と仕事をするって

予想はしてたけど、やっぱり時間の感覚が違ったり、言葉や文化の壁は感じる日々でした。

でも、そこでストレスを感じてたのは私だけじゃなくてフィリピン人もだよなーって、今は思います。

 

"自分の常識は他人の非常識"

って、こういうことか〜って実感。

 

ただ、彼らと働くのは楽しい時間もたくさんありました。

まず、オフィスがにぎやか。

歌ってる人もいるし、ウクレレ弾いてる人もいるし、オフィス中に響く大声で笑ってる人もいるし、犬とか赤ちゃんとかまで連れてくるから、沈黙の瞬間がない。

彼らのおかげで場が和んでたなって思います。

 

 

人生何が起こるか分からない

って強く感じました。

3年先どころか、1年先も自分がどこで何してるか分かんない。

 

何事も考え方次第だし、見方を変えればいい。

 

今はまだ向き合えてないことも、

時間が経てばなんであんなに悩んでたんだろう

って、思えるようになること知ってるから

マイナスなとこばっかり見てないで

そろそろ前に進んでいかないとって思います。

 

セブで6ヶ月間過ごせたことは本当に幸せで、大事な人がたくさんいて、いつかみんなにまた会いに行きます。

 

 

今後は分からないけど、もう少し日本にいるつもりです。

 

 

セブに来て2ヶ月半

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3月下旬にフィリピンに到着して、気づけば3ヶ月が経とうとしています。

 

良くも悪くも忙しかったため、あっという間に時間が過ぎました。

 

フィリピンに来てからの気づきや思うことをシェアしたいと思います。

 

その前に…

 

そもそも何の仕事をしてるの?

英語の語学学校で運営スタッフをしています。

 

日本から近い、欧米に比べ費用を抑えられる、マンツーマンがほとんど、温暖な気候、などの理由から、日本人の間でも"フィリピン留学"は人気です。

そうした理由から、フィリピンにはたくさんの語学学校があり、私はリゾート地としても有名なセブ島の語学学校で働いています。

 

私の仕事内容は、日本人生徒さんの授業や英語学習の相談を引き受けたり、お部屋に不備や問題があった時にフィリピン人スタッフと対応したり、具合の悪い生徒さんの病院に付き添ったり、フィリピン人講師の採用に関わったり、校内イベントの周知をしたり、留学に興味があるというお客様の電話・メール対応をしたり…

色々なことをしています。笑

 

仕事は大変?

大変です。笑

しかしそれ以上に、楽しさや面白さ、達成感や嬉しさを感じることが多いです!

スタッフが多くはないため、一人一人が色々な仕事をしていて、裁量も大きく、責任感もより必要になります。

色々な仕事を次々と教えてもらい、任せてもらえるのはとても面白いです。

 

また、これもスタッフの人数が少ないためだと思いますが、新入社員の私でも、意見を言いやすく、どんどん現場がその通りに変わっていくことがあります。そうした雰囲気は、とても働きやすいと思います。

 

社長との距離も近いです。

社長が隣のデスクで仕事をしていたり、お話できたり、すごく刺激を受けます。

 

生徒さんとの交流も面白いです。

他の多くの語学学校が学生中心であるのと違い、私の働く学校は、社会人の生徒さんが大多数です。

これまでは出会ったことのない年齢層の方々からお話を聞けのは、とても楽しいです。

年が離れていても、対等に話してくださる方が大勢で、仲良くしてくれ、そうしたこともとても嬉しいです。

 

フィリピン人も働いてるの?

フィリピン人だらけです。

オフィスでは、日本語、英語、ビサヤ語(セブで話されている言語)が飛び交っています。

 

フィリピン人は、明るい人が多いです。

よく歌ってるし、びっくりするくらい大きな声で笑うし、彼らのおかげでオフィスはいつもにぎやかです。笑

 

また、フィリピン人は日本人よりも伝えるのが大変だと感じます。

言語の壁もありますが、それ以上に文化や価値観の違いなのかな、と思います。

日本人なら"言わなくても分かる"ようなことも、フィリピン人には言葉に出して伝えなければ理解してもらえません

私にとっての当たり前と、フィリピン人にとっての当たり前は違います。

おそらく、彼らも日本人に伝えることに苦労しているかもしれません。

 

セブの生活は?

予想以上に、不便なく普通に生活しています。

Wifiが不安定になりがちとか、生野菜が少ないとかはありますが、スーパーとかモールに行けばなんでも揃うし、気候は温暖だし(たまに暑すぎる)、英語はどこでも通じるし、シャワーはお湯出るし、なかなか快適に暮らしています。

そして、セブといえば海ですが、やはり海は本当に綺麗で幸せですね。

綺麗な海に行くと、普段の疲れも飛んでいきます。

 

セブに来て良かった!

と、心から思います。

学びも刺激もたくさんで、充実しています。

辛くなる時もありますが、ありがたいことに周りの人に恵まれていて、支えられています。

生徒さんがこの学校を選んで良かった!と思ってもらえるよう、明日からも頑張って働いていこうと思います!

 

最後まで読んで下さった皆さま、長文にお付き合いいただきありがとうございました!!

“新卒で海外就職” にたどり着くまで

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(English after Japanese)

久しぶりにブログ書きます。

就活しながら現状について書こうとも思っていたのですが、なかなか進路が決まるまで書けずにいました。

 

結果からお話しすると、3月末からフィリピンに行きます。

英語を勉強しにフィリピンへ行く日本人が今はたくさんいますね。

そういった日本人が英語留学する語学学校の運営のお仕事をしに行きます。

 

この進路決定にたどり着くまで、中々苦しい時間が続いていました。

 

新卒で海外就職したいと思っている方や、就活のスタートが遅れた方、就活でモヤモヤしている方に、「こんな就活した人もいるんだ」と知ってもらえたらと思います。

 

そして、もし就活に行き詰った時には、「そういえば4年生の12月から就活始めてなんとかなった人もいたっけ」と思い出してほしいです。

 

私の就活の流れとともに、その時々に感じていたことなどを振り返っていきます。

 

3年後期 休学で燃え尽きてやる気ゼロ

3年前期終了後、1年間休学し、「世界青年の船」事業でニュージーランドとフィジーへ行ったり、ケニアで3ヶ月間ボランティアをしたりと日々刺激が溢れる生活を送っていました。

 

そんな生活が終了し、いざ函館の大学に復学した時、函館での生活をあまり楽しめなくなっていました。

楽しかったには楽しかったのですが、どこかぽっかり穴が開いてしまったような、抜け殻みたいな感じでした。

 

船やケニアがそれまでの私のゴールになっていて、その先が見えていなかったんですね。

休学中に、その先をちゃんと考えることができたら良かったのですが…。

 

完全燃焼して函館に戻ってきてしまった結果、次のゴールが見つけ出せないまま、なんとなく生活する日々になってしまいました。

モヤモヤした気持ちを切り替えて、ちゃんと「就活」にエネルギーを向けるべきでした。

 

4年前期 とりあえず試験受けてみる

春休みは、東南アジア数ヶ国を1ヶ月間うろうろしました。やっぱり海外楽しいなー、このままずっとうろうろしていたい...なんて思いながら帰国したのを覚えています。

 

というか「え?就活は?」って感じですよね。

やる気ないにしても、卒業後のプランがゼロだったわけではなくて、「在外公館派遣員」は受けようと思っていました。

(派遣員の詳細→http://www.ihcsa.or.jp/zaigaikoukan/hakenin-01/)

 

ただこの時は「まあ、春に受けてだめだったら秋に受ければいいし。他の選択肢も考えればいいし」くらいの軽い気持ちでした。

 

何の根拠もないのに、頭のどこかで「どうにかなる」と思っていました。

甘すぎですよね。

 

結局、派遣員の試験はあっさり落ちました。

 

その後、少しだけ日本での就活もしてみようと思いました。

と言っても、合同説明会的なイベントに参加しただけで、リクルートスーツを着て黒い髪をピタッとそろえてパンプスを履いて、なんか窮屈だなあなんて思ってすぐに辞めてしまいました。

 

どれだけ甘いんだという感じですが、“曲がっている”私には、みんなと同じ就活が苦痛でした。

 

4年後期 周りは就活終了、急に焦り出す

夏が終わり、秋がきて、派遣員の試験に再挑戦しました。

再び、あっさり落ちました。

 

短期のインターンもやってみました。

中々上手くいきませんでした。

 

今ならよく分かりますが、とことん自分に甘すぎたこと、そしてなぜか「どうにかなる」とどこかで安心していたためです。

 

「自分は何をしたいんだろう」

そんな風に悩む時期も必要だと思いますが、いつまでも「どうしよう~どうしよう~」と言っていても進めないですよね。

 

そして気づけば12月、ようやく、このままでは“どうにもならない”と思いました。

でも、12月です、12月

3年生の12月ではなくて、4年生の12月です。

周りのみんなはとっくに就職先なんて決まっています。

しかも、今まで真面目に就活しなかった自分の自業自得...

そう思って誰に相談したらいいのかも分かりませんでした。

 

ただ、とにかく4月から就職できる場所を見つけなきゃと焦る気持ちがありました。

とりあえず就活サイト(マイナビリクナビなど、他にも企業からスカウトを受け取れるサイトや仕事を紹介してくれるサイト)に登録しまくりました。

 

自己分析、12月でも新卒採用を募集している企業探し、企業研究、履歴書作成、志望動機をこじつけみたいな形で考える...。

しかも、これもただの自業自得ですが、1月末が提出期限の卒業論文も進んでいなかったため、ひたすら時間に追われ、焦っていました。

 

今までちゃんとやってこなかった自分が悔しくて情けなくて、自分に精一杯すぎて人にも優しくできないし、「そういえば、進路どうなったの?」って聞かれるのが嫌であんまり人にも会いたくないし、自己嫌悪が止まりませんでした。

 

1月末 内定を蹴り、就活を続けることに

メンタルもかなりやられていた中、1月末にようやく内定をもらいました。

内定がもらえた時、とても嬉しかったです。

 

正直、心からその会社で働きたいとは思っていませんでした。

ただ、このまま大学卒業して就職するところが見つからなかったらという恐怖と、就活に心身ともに疲れていて、辞めれるならいち早く辞めたいという気持ちから、ここで就活をストップしようかな、と思いました。

 

でも、やっぱり心の中で「違う」と思っていて、生き生きと働く自分が全く想像できませんでした。

自分の中では答えは決まっていました。

でも誰かに背中を押してほしくて、それまであまり就活の相談を人にしていませんでしたが、親や先輩、友達に相談しました。

 

ここで内定を蹴って、他に就職先がすぐに見つかる保証なんて全く無いし、まだ就活を続ける気力も失いかけていました。

しかし、理解ある親や背中を押してくれたたくさんの人たちのおかげで、まだ頑張ろうと思い直せました。

 

あとは、「内定」がもらえたことで、誰かに認められたような気がして、少し安心できました。

それまで、“みんなは内定をもらえて就職先を見つけているのに、自分は内定ももらえない”という状況が、すごく劣等感になっていたんだと、この時に気づきました。

 

内定をもらった企業には謝罪をしました。

 

フィリピンでの仕事が決まる

運良く、その後すぐにフィリピンでの仕事が決まりました。

 

もともと「新卒」で「海外就職」したいと思っていました。

ただ、就活をしていく中で、やはりそれは厳しいと感じ、諦めていました。

日本で数年働いて、経験を積んでから海外へ行こうとプランを変えました。

 

しかし、就活を始めた時期が遅すぎたのと、焦りや不安で自分がどんな仕事をしたいのかもよく分からなくなっていたせいで、納得のいく就職先を見つけることが出来ませんでした。

 

そんな中で、リスクは大きいけどもう少し就活を続けようと思い直した矢先に、フィリピンでの仕事が見つかったため、この時は本当に本当に、嬉しかったです。

妥協しなくて良かった、諦めなくて良かった、そして応援してくれた周りの人たちに良い報告が出来ることがとにかく嬉しかったです。

 

就活を終えて

大抵のことは「なんとかなる」と思っていましたが、「なんともならない時もある」と実感しました。

 

今まで「直感」で動くことが多く、目の前に楽しそうなことがあったらとりあえずやってみる、そんなスタンスで生活していました。

ただ、プランをたてて、ゴールに向かって動くことも大事だと、本当に思いました。

就活中、ある会社の方に言われたのが、「どんな仕事や経験も無駄なことはない。でも、それが自分のゴールの近道なのか遠回りなのか、考えるといいね」と。本当にその通りですよね。人生は有限で、出来ることはたくさんあるかもしれないけど、ちゃんと取捨選択していかないと、遠回りしすぎて、ゴールにたどり着く前に人生が終わってしまったら悲しいです。

ゴールが変わったら、プランを建て直せばいいし、ゴールに向かう中でプランに入っていなくても「楽しそう!」とわくわくすることは挑戦すればいいのかな、と思います。

 

自己分析や企業研究の大切さも実感しました。

就活を始める前は何のためにするのかよく分からず、なんとなく面倒くさいと思っていました。しかし、自分がどんなことをしたいのか、どんなことに価値を置くのか、などをしっかり分析していないと、就活は全然進みませんでした。自己分析が進んで、ようやく自分はどんな企業に入りたいのかが見えてくると思います。

 

相談する相手も大事です。

自分の理想とする生活スタイル、仕事スタイルの人に相談することが大事かなと思います。そうではない人に相談しても、理想の自分には近づけません。

 

就活の資金準備も必要です。

今住んでいる場所や実家のある場所で就活を行うのであれば、それほどお金はかからないでしょう。

しかし、田舎の大学生で、出身地も田舎で、就職は都会希望という場合には、結構なお金がかかります。

 

田舎と都市部の大学での差は、感じずにはいられませんでした。

もちろん一概には言えませんが、都市部の方が情報がたくさん入ってきます。

インターンなどを受け入れている会社もたくさんあって、参加できるチャンスも格段に増えるでしょう。

大学を選ぶときに、就活でこんな差を感じるとは思っていませんでした。

 

ただ、先ほども言ったように、「都会だから」「田舎だから」と一概に言えるわけではなく、もちろん個々の努力次第で改善できる点はたくさんあるでしょう。ただ、どうしても環境に左右されることも多いかなと、私は思います。

(大学生活を過ごした函館はもちろん大好きです!しかし、就活面では正直苦しかったというのが本音です)

 

色々と言いましたが、

12月から就活を始めても大丈夫!と言いたいわけではありません

12月からの就活は全くおすすめしません

早めに越したことはないと思います。

ただ、スタートが遅れたり、上手く行かなくて長引いたりした時には、私の就活を思い出して「まだ間に合う」と思ってほしいです。

 

 

最後に、私の就活を支えてくれたたくさんの方々、本当に感謝しています。

本当にたくさんの人に迷惑をかけ、心配をかけ、背中を押してもらい、励ましてもらい、絶対に一人では終えることは出来ませんでした。

 

就職先が決まったことは「スタート」に立ったに過ぎませんが、まずはフィリピンで頑張って、これからも自分らしく楽しく進んでいきたいと思います!

 

最後まで読んでくださりありがとうございました!!!

 

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新卒で海外で働きたい方へ

参考までに、私が新卒で海外へ行ける制度で応募を考えていたのは、

 


派遣員と協力隊は2年間で、日本語パートナーズは長くても1年とかだったと思います。

 

また、就活系のサイトでちゃんと連絡を取り合えたり選考を進めることができたのは、

 

 

働くことになったセブの語学学校は、Wantedlyで見つけました。

きっと海外就職の探し方はまだまだあると思います。一参考として見てもらえたらと思います。

 

 

 After a long time, I’m writing a blog.

 Now I decided what I will do after graduation, so I’m writing about it.


I’m going Philippines in the end of March.

Many Japanese people going Philippines to study English. So I’ll work for language school. I’ll manage teachers and students.


Before deciding this decision, I was struggling to think about my career.

 

If you are thinking about working abroad or struggling with job hunting, this article will encourage you. You will feel “This girl found a job at abroad although she started job hunting later than others. I think I can do it too.”

 

After a gap year, I lost my motivation.

Two and a half years passed, I took a gap year. During that one year, I joined “ship for world youth leaders”, we traveled one month by cruise, and I stayed in Kenya three months. These experiences were really exciting and amazing.

 

Such a brilliant days passed then I backed Hakodate, my university places. I couldn’t enjoy the life at Hakodate anymore.

Actually it was still somehow fun, but I felt my motivation was gone.

 

Before took a gap year, cruise and Kenya were my “goal”. After I achieved these goals, I couldn’t find next “goal”. I should have thought about it before I backed University.


Usually in Japan, most of the university’s students start thinking about job when the latter semester of the third year.

So it means, I had to start think about job after gap year, but I couldn’t.

 

Forth year stares, still I was not serious about job hunting.

During spring vacation, I traveled south-east Asian countries for a month. I wanted to continue traveling.

 

On the other hand, most of the students visited companies or writing applications for recruitment. I regret that I didn’t do that as others, but I was lazy.


I tried only one job position at Japanese embassy. But I failed. I  just thought “Okay I will try it again.” That’s all. I was not serious totally.

 

I didn’t have reasons, but I thought “ Somehow I can make it.” 

 

I tried “Japanese normal job hunting” too. I just joined some “job hunting events” wearing recruit suits and black shoes, and dyed my black hair. Everyone looked same and they lost their individuality. I hate these job hunting and I couldn’t continue so I stopped soon.

 

Autumn coming, most of students finished job hunting.

I tried job test of Japanese embassy again. I failed again. Also I experienced shot-term internship, but I couldn’t done my best.

I was still not so serious that’s why nothing went well.

 

Sometimes we were thinking “What I want to do honestly?”

We need these time, but if we thinking for a long time, we can’t move forward. 

 

December is coming, finally I noticed “I have to be serious about job hunting right now.”

It was too late.

Friends around me found their job, it was a matter of of course.

And it was totally my fault because I was not serious.

I didn’t know who I should ask for help.

 

Suddenly I was really upset about my career. I registered many recruits cites and started searching job.


It was really hard to start these things from this season. Also I didn’t finish my graduation thesis, it was also my fault though. So I was so busy and upset.


I was so regret that I was not serious, I was shameful, I lost my composure then I didn’t think about people around me, I didn’t want to meet people because I was afraid to be asked “What will you do after graduation?”,  I really hated myself.


Finally I got job offer, but I didn’t accept.

At that time, I was exhausted about job hunting, so I was so happy to got job offer.

 

To be honest, I didn’t want to work that company. But I was really tired of job hunting so I wanted to finish as soon as possible. And I was afraid to decline the offer because there were no guarantee that I could find another job soon.


I was really worried and talked with some reliable people. They encouraged me a lot so finally I declined the offer and started searching job again.

 

Also, I got confidence when I got job offer. I felt like I was admitted by someone, I felt like I wasn’t worthless.

 

I apologized to the company gave me job offer and declined it.

 

I got job in Philippines!

Fortunately, I got job at Philippines soon after I declined another company’s job offer.

 

Actually I wanted to work abroad although it is not common for new graduates in Japan. But I found it was difficult than I thought, so I  gave up then I started to searching job in Japan. I was thinking work in Japan few years then work at abroad.

 


But even in Japan, I was struggling with job hunting because of my fault. It was too late so I couldn’t find company I really wanted to work for.

 

In such a situation, I declined job offer although it had risks, then I found job opportunity in Philippines. So I was really happy. 


I felt that my decision was right and I was really appreciated many dearest people around me.


After finished job hunting 

I thought that I can overcome most of the things, but I realized that sometimes I can’t without trueness effort.

 

Until now, I usually tried and decided by my intuition. I didn’t have logical reasons and detailed plans.

 But now, I noticed making plans are important to achieve the goal. 

One of the man I met during job hunting said “There are no meaningless experiences and works. But you have to think about whether it is a short-cut or a long way round to achieve your goal.” I understood what he wanted to say.

Life is limited. You can do many things but you can’t do everything in your life. So you should choose your actions. If you choose too many long way, you can’t achieve the goal before your life will end. And it is so sad, isn’t it?

If goal changes, you can make a plan again. And if you find something really awesome which isn’t included in your plans, you can just include it at the time.

 

 And when you start job hunting, I think it is really important to who you consult with. I think you should consult with the person who live your ideals life. If you consult with not such a person, you will get wrong answers for you.

 

Finally, what I want to say is not that you can start job hunting from December. 

December is too late. Totally I don’t recommend.

I recommend you to start as soon as possible.

But, just in case, if you started later or you are struggling with, please remember me and don’t give up! 

 

I want to say thank you to all the people who supported me.

I know I was trouble with many people, many people really worried about me, many people supported and encountered me a lot. I couldn’t finish my job hunting alone.


Deciding job is just starting. I’ll do my best in new places and I will continue to enjoy my life from now on.

 

Thank you so much for reading this long article!

 

ケニアから帰国して一年

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(English after Japanese)

一年前の今日、ケニアから日本に帰国しました。

 

私はこの一年間、どう過ごしてきたんだろう?

どれだけ成長出来たんだろう?

 

そう考えてみて、

正直、なんだかあっさりし過ぎた一年間だった気がしました。

 

思い出に残ってることだって、もちろんたくさんあります。

 

でも、ケニアにいた時、私はとにかく一生懸命で、辛いこともあったけど、日々目の前の瞬間のために生きていて、感動して、考えさせられることもたくさんで、とにかく濃い毎日でした。

 

昔のことだから、思い出として美化されてしまっただけかもしれません。

昔のことばかり振り返るのは、過去にしがみついているみたいで本当は好きではありません。

でも、ただただ、振り返るとケニアにいた頃が懐かしいです。

そして、あの時と同じくらいか、それ以上に一生懸命毎日を生きたいのですが、そのためにはどうしたらいいのかと、モヤモヤしています。

 

ちょうど一年経ったので、少し振り返ってみました。

 

ケニアで出会った大切なみんなが、元気でありますように。

 

 

24 Sep 2017, just this day of one year ago, I left Kenya to back to Japan.

I’ve thought
“What did I do in this year?”
”What did I learn in this year?”

Then I thought, this year was really simple.
I mean, of course I had good time a lot. But honestly, there weren’t strong impression when I compared with experiences in Kenya.

 

When I stayed at Kenya, everyday I was really concentrated on that moment. I was struggling with living in a different culture. Sometimes I had a hard time. But at the same time, I was impressed, felt thankful for people, thought about various things like my future or something like that.

 

Maybe just because it was past now, it looks more beautiful than I actually experienced.
I don’t like looking back “past” too much because it seems that I can’t live for now, I live for past.
But now, I just miss all the memories at Kenya.
I wonder if, how can I live concentrating on today like one year ago. I haven’t found the answer yet.

Finally I wish all my Kenyan friends will be fine. Thank you.
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女子旅 最終編〜イスタンブール〜

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みなさんこんにちは!
女子旅シリーズ最終編は、トルコの首都、イスタンブールです。

 

世界で唯一ヨーロッパとアジアにまたがる街で、東西文化の懸け橋ともいわれる。その地理的な特異性から、3つの帝国の首都となった歴史をもち、西洋と東洋が入り混じった独特の雰囲気が漂っている。紀元前7世紀ごろ築かれたビザンチンという名の古代都市がこの街の起源で、1世紀ごろにローマ帝国が都をこの地に建設し、コンスタンチノープルと改名。395年に東ローマ帝国支配下に入るも、その都として1000年の歴史を刻んだ。1453年にはオスマン・トルコの都となり、その名がイスタンブール(=永遠の都)となる。歴代で築かれたブルー・モスクやアヤソフィアなどが立つ歴史地区は、ユネスコ世界遺産にも登録されており、一見の価値あり。特異な地域性が生んだ食文化も宮廷料理で洗練され、世界3大料理の一つといわれるほど多彩な料理が生み出されている。

(https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/middle_east/republic_of_turkey/IST/sp_index.html)

 

ヨーロッパとアジアの間って、不思議な感じがしませんか?

ヨーロッパ、アジア、さらに中東などの文化も混ざっているようで、とても面白かったです。

では、写真とともにイスタンブールを紹介します。


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旧市街。赤と白のトルコの国旗が見えます。

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石だたみの道。


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ギュルハネ公園(Gülhane Parkı)

トプカプ宮殿に隣接した公園です。


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広々していて、木陰で休憩できます。

私たちが行ったのは6月上旬ですが、毎日30度を超す暑さで、風もあまりないので、木陰は本当に気持ちよかったです。


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お菓子屋さん。トルコのお菓子、ロクムがたくさん。


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ゼリーとグミの間みたいなイメージで、それぞれピスタチオやナッツ、ドライフルーツなどが混ぜてあって、けっこう甘いですが美味しいです。見た目も綺麗で、見てるだけでも楽しいです。


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アヤソフィア(Hagia Sophia)

4世紀にキリスト教の大聖堂として建てられたアヤソフィアは、その後イスラム教の寺院へと転用され、現在は無宗教の博物館になっています。


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シャンデリアが綺麗。


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めちゃくちゃ大きいです。

キリスト教徒のための建物から、後にイスラム教徒への建物に転用されたという歴史的背景のため、マリア様のステンドグラスがあるかと思えば、コーランの文字も見られます。


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奥に見えるのはブルーモスク。"世界一美しいモスク"とも言われています。


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ムスリムじゃない人も、中に入ることができます。


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観光客が入れるのはここまで。奥にあるくぼみはミフラーブと呼ばれ、メッカ(イスラム教の聖地)の方向を指しています。


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アラブストリート。

おみやげ屋さんが並んでいます。


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夕方のイスタンブール

アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡


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夜はレストランが賑わいます。


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ライトアップされたアヤソフィア。空に吊るされている文字は、トルコ語で"食べ物に感謝しましょう"みたいな意味らしいです。(トルコ人がそう言ってました。)


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地元民が通いそうな、小さなお店で食べたチキンケバブ


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セマーと呼ばれる踊りで、イスラム教の一つの教団の踊りです。スカートを履いた人が、音楽に合わせてひたすら回転し続けます。


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シリカ・スルタン(Basilica Cistern)

地下の貯水池ですが、地下宮殿とも呼ばれています。

けっこう広くて、探検のようで楽しかったです。


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メデューサの頭。

ちょっと怖いです。


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街には、こんなカラフルで可愛い建物も並んでいます。


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トルコランプ屋さん。

カラフルなガラスで装飾されているランプ。レストランなどでもよく見られました。

イスタンブールではそこら中で売られています。私も一つ購入しました。


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トウモロコシと焼き栗が売られています。こんなワゴンがたくさんありました。トウモロコシ見たら、地元の札幌みたいだなぁなんて思います。(札幌民は分かりますよね?笑 )


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ボスポラス海峡


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フェリーに乗って、アジア側へ。

ちなみに、橋があるので徒歩でもアジア側へ行けます。15分くらいだったはずです。


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左奥に見えるのは、海に浮かんだ教会。


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アジア側は、ヨーロッパ側の旧市街ほど観光名所は少なく、マーケットや住宅街が広がっていて、より生活感があります。

 

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イスタンブールで有名らしい、細長いピザ。


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グランドバザール。

おみやげ屋さんが所狭しと並んでいます。トルコランプ、絨毯、お菓子などトルコみやげなら何でもあります。

 

イスタンブール、色んな文化が混ざっていて、フレンドリーな人も多くて、街並みやボスポラス海峡はとても美しくて、私はとても好きでした!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

 

女子一人旅は危険?

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皆さん、こんにちは!

 

今日は、私が海外一人旅をする際に気をつけているポイントをお伝えします。

よく一人旅の話をすると「え、大丈夫?!危なくない?」という声が聞こえてきます。

結果から言うと、気をつけるべき事をしっかり気をつけていれば大丈夫、と私は思います。

一人旅してみたいけど不安、そんな方に読んでもらえたらと思います!

ちなみに、私が一人旅した国はマレーシア、タイ、ラオスケニアルワンダetc

 

観光客っぽさを出さない

明らかに"観光客"だと分かると、スリやぼったくりの対象になりやすいです。

例えば、

観光マップみたいな大きな地図を見ながら歩かない。

迷ってると思われないように(たとえ本当に迷っていても)キョロキョロし過ぎずに、スタスタ歩く。

現地に馴染む格好をする。

綺麗すぎる格好は浮くことが多いです。国にもよりますが、私は基本、Tシャツにジーパン、ほぼスッピン、アクセサリーもほぼつけません。シンプルな格好の方が狙われないと思います。

 

オープンになり過ぎない

"旅先での出会い"って素敵ですよね。しかし、残念ながら全ての人が"良い人"というわけではないので、警戒することも必要です。まず、日本語で話しかけてくる人には、私はとても用心します。話しかけてくる人全員に反応する必要はありません。

 

ニコニコし過ぎない

話しかけられて、困って苦笑いをしたり、とりあえず愛想笑いをしたり。日本人だと、そういうのが多いと思います。しかし、どんな時もそんな様子だと、ナメられる気がします。

 

しつこい人ははっきり断る

知らない人に話しかけられ、そのまま着いてこられるようなことがあれば、don’t follow me!(着いてこないで!)などと言って強めに追い払いましょう。"連絡先教えて"などと言われて教えたくない時、ためらったりしているとグイグイ来られるので、ずばっと"No"と言った方が早く諦めてくれます。

 

貴重品の管理は厳重に!

まず、現金はすべて財布に入れず、2つか3つに分けておくのをお勧めします。万が一盗まれて一文無しにならないためです。

出かける時、宿に貴重品を置いておく時は、スーツケースなりバックパックなり、そのカバンに南京錠をかけましょう。私は、よく100均の南京錠を3つくらい持って行きます。

外を歩く時は、ケータイや財布などはなるべくカバンの奥底にしまった方がいいと思います。ズボンの後ろのポケットは、確実に危ないです。パスポートは、国境を越える時以外ほぼ使わないはずなので、コピーだけ持ち歩いていればいいと思います。私は、本物は南京錠をかけて宿に置いていきます。

 

夜間は出歩かない

国にもよると思うのですが、基本的に夜は一人で出歩かない方がいいでしょう。どうしても一人で出歩かなければいけない時は、タクシーを利用したり、大きな明るい通りを歩くのがいいと思います。

 

以上、私が海外一人旅で気をつけていることを紹介しました。一人旅では、"自分の身は自分で守る"という点を強く意識しておく必要があると思います。しかし、こういった基本的なポイントを気をつければ、一人旅は思いっきり楽しむことができます!

自由気ままに、フラッとどこか行ってみようかな、と思った皆さま。安全にはくれぐれも気をつけて、ぜひ一人旅を楽しんでほしいです!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!